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あれから4年…

あの日…1300633766
私は多賀城市内にいました。
携帯電話の緊急地震速報と地鳴りがけたたましく、そして不気味に鳴り響いたかと思うと突然、今まで経験したことのない揺れがとてつもなく長い時間揺れ続けました。

はっと我に返る瞬間って身に危険が及ぼしそうな時なんだと認識したのはその日が初めてなのかも知れません。
電柱がこちら側に倒れそうになってきてハッと気付いた瞬間なのでした。

揺れがおさまって、一斉にみんなが見たのは携帯のワンセグ。
最大震度が栗原市で震度7、更に大津波警報。
以前から言われ続けていた30年以内に起こると言われていた、宮城県沖地震がついにきたのだと認識した瞬間でした。

そこから仙台の職場に戻るとなって準備ができて出発するまでしばらく時間がかかり、産業道路に出たのが3時20分。
この時間は南三陸や気仙沼ではすでに津波が到達している時間。
今思うと、多賀城市内で私が通った経路は全て津波がきていましたが、ほんの一瞬早く通過したために無傷であったのでした。
その後改めて思うと、間違いやほんのちょっとのニアミスで私は海の藻屑となっていた可能性がありました。
不幸にも、私の同期は仙台市宮城野区蒲生(ここも津波が到達しています)から多賀城市にはいるその間際に津波に飲まれ亡くなっています。
そう考えると私はほんの少しだけツイていただけだったのです。

多くの方が犠牲になり、犠牲になった数だけ『あの時…何故…』という思いを抱えていると思います。
私も時々あの時の事を思い出します。

同期は亡くなったのだけれど私は何故生き残ったのか。
でも今はこの震災の記憶を伝え続けることが重要なんだと、思いを改めています。
人は生きている限り前に進まないと明日はありません。

最後に…

先の震災で亡くなられた方へご冥福をお祈りします。